hotel gadget

ホテルジャンキー村瀬千文とホテルにまつわるヒト・モノ・コト

映画と桜とプリンの日

f:id:chifumimurase:20170416095353j:plain

きのうは鎌倉で”鎌倉の別荘地時代

研究会”。

鎌倉市川喜田映画記念館の増谷文良さんが、映画のなかの鎌倉 別荘編 を話してくださった。

増谷さんからいつも感じるのは、映画への深い深い愛。

わたしがホテルについて話しているときも、こんな感じなんだろうか。

会のメンバーのおひとりで黒澤組の俳優、加藤茂雄さんも途中からくわわり、黒澤明監督の映画出演時のエピソードなど、そのとき、そこにいた方でなければできないお話を伺うこともできてとても楽しかった。

f:id:chifumimurase:20170415181815j:plain

会の後は母と待ち合わせて桜🌸が満開の鎌倉散歩。

 

f:id:chifumimurase:20170415182046j:plain

川喜田映画記念館の桜🌸がきれいなので歩いていき、今日はここの増谷さんのお話を伺ってきたと母に話していたら、ちょうどもどってきた増谷さんと玄関でばったり。

 

f:id:chifumimurase:20170415182539j:plain

川喜田かしこさんが海外出張の際に泊まられたホテルのステッカーを貼ったトランクが残っているそうなので、いつかじっくり見てみたい。

その人が選んだホテルは、その人を語るから。

母いわく"楽しい雑踏"である休日の鎌倉散歩の後は、昭和の時間漂う西口のカフェロンディーノでお茶。

f:id:chifumimurase:20170415183034j:plain

残念ながらお目当てのプリンは売り切れ。

f:id:chifumimurase:20170416100734j:plain

ないと 思えば思うほど 食べたい プリンかな

頭の中はあれからずっとプリンでいっぱい。

 

 

 

 

 

 

「HOTEL JUNKIES」の新ウェブサイトがオープンしました!

f:id:chifumimurase:20170415090319p:plain

HOTEL JUNKIES」の新ウェブサイトが3月末にソフトオープンしました。

ただいま、続々と新しい「お部屋」がオープン中です。

たとえば、《HJ's ROOM》。

ここは、ホテルジャンキーズクラブのメンバーのみなさん方のブログが集まったホテルジャンキーたちの「広場」のようなものです。

ホテルジャンキーとひとくちに言っても、みなさんそれぞれホテルをとらえる観点や切り口、はまり方や刺さり方もちがえば、ホテルの楽しみ方、ホテルでのこだわりのポイントもちがいます。

へぇ〜、ホテルって、こんなにいろいろな楽しみ方があるんだ、と感じていただければ、わたしもホテルジャンキーのひとりとしてうれしいです。

 

f:id:chifumimurase:20170415090513p:plain

グランドオープンは今月末を予定していますので、どうぞお楽しみに!

 

スイスのツークという街になじみ深い男たち

f:id:chifumimurase:20170414093024j:plain

 ツークという街の名前を聞いて、ああ、あそこね、言う方は少ないと思う。

スイスのチューリッヒルツェルンの間にある人口3万人ほどの小さな街だが、観光客が訪れるようなところではないし、ふつうの方にはなじみがうすい。

しかし、ある種の人たちにとっては、ツークといえば、非常になじみ深い街である。

税率が低いことから税金天国として知られ、企業家や多国籍企業などでここに拠点を置くところが多いのだ。 

そのひとりが、本ブログの読者の方々にはなじみ深いアマンリゾーツのオーナー、ドローニン氏である。

4月12日付の本ブログ記事 ↓ にて、

chifumimurase.hateblo.jp

 《(今年の2月にアマンリゾーツのCOOに就任した)ファセル氏とドローニン氏が初めて出会ったのは、いったいどこだったのだろうか?》

と書いたが、なんとなく、気になって、気になって、気になってしかたなく、いろいろ調べているうちに、ファセル氏の勤務地は、ツークにあるアマンリゾーツ・オフィスであることがわかった。

とすると、もしかして、スイス人であるファセル氏とドローニン氏を結ぶ線には思っている以上のものがあるのかも、同い年でもあるし .....などと思ったりして。

ドローニン氏にとって、このツークという街は、青春時代を過ごした街でもある。ロシアがまだソ連邦と呼ばれ、彼の出身地でもあるサンクトペテルブルクレニングラードと呼ばれていた時代、まだ何ものでもなかった23才のドローニン青年はこの街にやってきて、1985年からこの街に住み、働いていた。 

共産党政権下のソ連邦時代、ふつうの国民が海外に出るのがむずかしかった時代に、23才の若きドローニン青年はいったいどんなきっかけで、そして、何を胸にいだいて、このツークという街にやってきたのだろうか。

ツークでの勤務先とは、マーク・リッチ氏の会社。

このマーク・リッチ氏という人が、ただものではない。

f:id:chifumimurase:20170414095338p:plain

(2013年6月26日、死去を報じるニューヨークタイムズ紙の記事)

フォーブス誌によると、2006年の個人資産所有額は約15億ドル(約1335億円)。

マーク・リッチ氏について書かれたノンフィクション「メタル・トレーダー 地球を売買する男たち」(新潮社)という本によると、ベルギーのユダヤ人家庭に生まれ、7才のときにナチから逃れるため一家でアメリカへ。貴金属取引のディーラーとして名をなしたのち、アメリカが経済制裁していたイランとの間で当時の石油業界を揺るがすような莫大な取引を行い、巨大な財を築きあげたが、アメリカのFBIの「10大重要指名手配犯リスト」にのり、(帰国すると逮捕されるので)アメリカ帰国ができなくなった。ちなみに、本人は一貫して無実を主張し続けた。そして、クリントン大統領が任期終了の数時間前に恩赦を出したという一件でもその大物ぶりが有名になった。

ドローニン氏はそういうお方のもとで、いろいろ学んだ。

帰国後の1991年、ソ連崩壊後のロシアで今の会社、キャピタル・グループをスタートした。

そして、四半世紀後の今、アマンリゾーツのオーナーとして君臨。

23才でツークの街に初めて立ってから、ここに来るまで、どんな人生を歩んできたか、いつか聞いてみたい。

 

*一番上のツークの写真はスイス観光局からお借りしました。