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ホテルジャンキー村瀬千文とホテルにまつわるヒト・モノ・コト

イアン・シュレイガーが目をうるませた日

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ホテルには「表」と「裏」の世界があり、まったくの別世界である。

ゲストを迎える「表」の世界とバックヤードの「裏」の世界を隔てるのはドア一枚だが、このドアの横の壁に鏡があり、

「You are going on stage.  Are you ready? これから舞台に上がる準備は出来てますか?」

などと書いてあるホテルを見たことがあるが、まったくそのとおりだ。

 

社員食堂でネクタイをゆるめて納豆定食をかっこんでいた人と、シャンデリアきらめくメインダイニングで、

「フォアグラがお嫌いでなければ、牛フィレのロッシーニ風などいかがでございましょうか?

マディラ酒とトリュフで作りました香り高いソース・ペリグーでお召し上がりいただきます」

とゲストにすすめている人は、同じ人間ではあるけれど、まったくの別人である。

 

デザインホテルという新しいホテルのジャンルを創りだしたのは、イアン・シュレイガーである。

もともとはニューヨークのトレンドの先端をいくナイトクラブのプロデュースで世に出てきた人だ。

彼にニューヨークでインタビューしたのは、フィリップ・スタルクと組んで

ロイヤルトン、パラマウント・ホテルなどを作って成功し、

ホテル界に新風を巻き起こした寵児として一躍、脚光を浴びた絶好調の頃だった。

 

モーガンズ・ホテルのオフィスで指定されたインタビューの時間は早朝6時。

ソーホーの知人宅からタクシーで着き、オフィスフロアでエレベーターを降りると、

タイプを打っていた男性のセクレタリーがいそいそと迎えてくれた。

ジーンズに白いコットンシャツの襟を立て、しゃなりしゃなりと私のかたわらにやってくると、

「あーら、朝早くからいらしていただいて、ごめんなさいね。

あのね、イアンがゆっくりお話できるのは朝のこの時間だけなのよぉ」

・・・日本語に訳すとこういう口調になる。

「いいのよ、彼がお忙しいのはわかってるから。あなたも朝早くから大変ね」

私もついつい女友達と話すような口調になる。

セクレタリー氏がタイプしていたシュレイガーのスケジュール表を見せてもらうと予定はびっしり。

私のインタビューを終えた後はヘリコプターで新しい物件の候補を見に出かけるとか。

 

「イア~ン、ミス・ムラセがいらしたわよぉ」(訳すとどうしてもこういう口調になる)

部屋は実に質素でシンプル。無駄なものひとつない。

大きなデスクの向こうから出てきて、顔をくしゃくしゃにして笑いながら握手の手をさしのべてきたシュレイガーも、

洗いざらしのブルージンズに白いコットンシャツ姿。

あのデコラティブなホテルを作る人とは思えない飾り気のないシンプルさだ。

 

ちょうど長年パートナーだった男性がエイズで亡くなった後で、

その人のことを語る時に思わず言葉に詰まり、目をうるませたのが印象的だった。

非常にタフで頭の切れるビジネスマンだと言われているが、

バックヤードでちらりと見せた顔はまた別の顔だった。

 

この後、シュレイガーはロンドンに進出し念願の海外進出を果たすも、

リーマンショックモーガンホテルズを手放すことになり、

現在は大手ホテルチェーンのマリオットと組んだ「EDITION」ブランドが活動の舞台となっている。

 

上の写真は、ロンドン・エディションに続いてニューヨークにオープンしたニューヨーク・エディション(ホテルのサイトからお借りしました)。

バーの演出の「手口」はロンドンとまったく同じ。同じブランドだから当たり前といえば当たり前だけれど。

う~ん、初期の作品に感じた野獣のような荒々しい感覚はもうない。

私なんかはちょっと飽きたな、っていう感じがする。