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ホテルジャンキー村瀬千文とホテルにまつわるヒト・モノ・コト

スパイにならなかったホテルマン

アメリカのホテル ゴルフリゾート ホテルの人

 

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ハワイ・オアフ島の老舗ホテル「カハラ」。この景色を眺めるたびに思い出す、ひとりのホテルマンがいる。

あの日も、雲ひとつなく澄みわたった青い空にコバルト色のグラデーションの海。そこから見わたす景色は、まるで絵葉書そのものだった。

スイートルームの取材中、カメラマンの撮影のためちょっと待ち時間ができた。すると朝から付き添っていた男性スタッフがちょっといたずらっぽい目をして、「このホテルで僕が一番好きな眺めの場所があるのですが、ご案内しましょうか?」と提案してきた。

彼は、いわゆるジャーナリスト相手の取材に同行するスタッフにしては、口数が極端に少ないホテルマンだった。仕事上、必要なことはきっちり言うけれど、いわゆるお愛想を言ったり軽口をたたいたりなどの無駄口はいっさいなし。こちらから話しかけなければ、十分でも二十分でもずっと黙って静かに横に控えているのだが、どんなに長く待ち時間がかかろうとも背筋をピンと伸ばした姿勢を決して崩さなかった。年もまだ若いようだが、感情をほとんど出さないせいか老けて見えていた。

そんな彼からの思いがけない提案だったので、正直驚いたものだった。

「もちろん、喜んで!」と彼の後をついていくと、そこは外階段の踊り場のようなところで、まさに息を飲むような素晴らしい絶景が開けていた。

目の前にはダイヤモンドヘッド、海もワイキキもすべてが一望のもとだった。

「You like it? お気にいりましたか?」

「Why not! もちろん!」

並んで立って手すりに寄りかかりながら、初めて彼の横顔をきちんと見た。端正な色白の顔にまっすぐな黒い髪とちょっとブルーがかった瞳。ハワイでよく見かける、いくつかの血が混じっているように見えた。どこかオリエンタルの血も入っているようだ…。

「僕の体にはいくつかの異なった民族の血が流れているんですよ」

私の思考をまるで読んだようで驚いて彼の目を見返すと、

「失礼。今みたいにじっと顔を見られるのはよくあるので」とニコっと笑った。

「ああ、びっくり。エスパーかと思っちゃった」

すると彼は、ひょいと言った。

「僕、むかし、大学のキャンパスで CIA にリクルートされたこともあるんですよ」

「って、そ、その超能力のために?!」

「まさか!」

ふきだした彼は、「いえ、そうではなくて」と首をふりながら、彼がたどってきた重く暗く複雑な生い立ちについて、ことさらにさらりと軽く語った。そして、言った。

「彼らは、僕みたいな出自の人間を探し出しては、ターゲットを定めてリクルートしてくるらしいです」

大学卒業後の進路に迷っていた彼は、一度そのCIAのリクルーターと会って食事をしながら話は聞いたけれど、自分の出自をひきずった人生を歩むことになると思い、断ったそうだ。

「ふうん、スパイにならなかったホテルマンか…」と私が言うと、

「Wow! なんだかカッコイイな!」

初めて年相応の若者の表情で笑った。

「さて、そろそろ撮影が終わる頃かな」と時計を見ると、ドアを押さえながら私の眼を見て言った。

「いつか、書いてくださいね。さっきのタイトルで」

 

あれから20年。やっと今、約束を果たした。