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ホテルジャンキー村瀬千文とホテルにまつわるヒト・モノ・コト

アマンリゾーツのオーナー、ドローニンの人生と豪華自宅

 

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 ヴェネチアのアマン「アマン・カナル・グランデヴェニス」の部屋でモデルのようにポーズを取っているのは、アマンリゾーツの現オーナー、ウラジミール・ドローニン。私が勝手に注目している男たちのひとりである。

ドローニン、最近は表情にも落ち着きと余裕が見られるようになった。アマン争奪戦の係争にも勝ってオーナーの地位を盤石にし、マイアミでの高級コンドミニアム開発 OKOプロジェクトもミッソーニの協力をとりつけたりしてアメリカの地元紙の「マイアミで影響力がある50人」の一人に選ばれ(37位で、40位のイアン・シュレイガーより上!)、順風満帆なようす。もっともそう見せないと金は集まってこない、金は金を呼ぶのがこの業界だから。

従来は検索しても”少なすぎる”情報しか出ていなかったドローニンで、逆に、なんかいろいろありそう…と思わせてきたのだが、8月3日付のアメリカのコンテンポラリーデザイン誌「Suraface」のインタビューでは、これまでになく饒舌に、いかにして今の地位を築いたかについて語っている。

ロシアで彼が開発を手がけたビルは71棟におよぶが、そもそもは1軒の工場を買ったことから始まったそうだ。ここからはまさに”機を見るに敏”、共産党幹部と渡りをつけ、ペレストロイカを契機に一気に駆け上がる。当時のギラギラした目をしていたであろう若きドローニン青年の顔を見て見たいと思う。

1993年にはIBMの依頼でオフィスを建てるまでになり、ロシアの不動産業界での信用もついた。次に住宅業界に参入するにあたり、彼がしたのは著名な外国人建築家の採用。ホント、”借景づかい”が実にうまい男だ。

モスクワで彼が開発を手がけたキャピタル・シティはニューヨークにおけるタイム・ワーナー・ビルにたとえられるが、その最上階に彼はペントハウスを所有しており、そこには25メートルプールもあり、インテリアデザイナーとしてイタリア人デザイナーの Massimo Iosa Ghini を起用。

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さらに、東京オリンピックの国立競技場設計でも有名になった英国人建築家ザハ・ハディドには自宅を設計させている。

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(上の写真2点はZaha Hadid Architectsのサイトよりお借りしました。トップの写真は「Surface」誌のサイトよりお借りしました)

 いやいや、ホント、飽きさせない人だ。