今はもうない、けれど一度ぜひ会いたかった、会ってみたかった、会って視線を交わし、言葉を交わしあってみたかったホテルのひとつが、「逗子なぎさホテル」である。
きのうは、その「逗子なぎさホテル」を偲ぶ会に参加してきた。
「逗子なぎさホテル」とは、1926年、昭和が始まった年にオープンし、1989年、昭和が終わった年にクローズしたホテルで、かつて逗子の海岸沿いにあった。
いろいろな立場で「なぎさホテル」と関わった方々のお話を聞いたが、なかでも、お祖父様の逗子の別邸で幼少時代を過ごし、幼少のみぎりからこのホテルに出入りし、ダイニングルームで大人に混じって食事をしたり、庭のブランコで遊んだりしてきたという、建築家の長島孝一さんのお話がとても興味深かった。
おそらくこのホテルがもっともこのホテルらしく生き、華やいでいた時代にそこにいた方が語る「なぎさホテル」のお話は、「なぎさホテル」がいまなお伝えるホテルの「時間」でもある。
長島さんは「なぎさホテル」のすぐそばにあるお祖父様の別邸(1900年に建てられた登録有形文化財とのこと)に今も住んでいらっしゃるが、こんな本も書かれている方 ↓
「なぎさホテル」といえば、作家・伊集院静氏の「なぎさホテル」↓
この本を思い浮かべる方も多いと思うが、伊集院氏が住んでいた1978〜1984年頃は、海岸とホテルとの間にかつてはなかった国道が通って海とは分断され、新館も建てられ、すでに創業当時とは様相が変わっていた時代。
ちなみに、このホテルの創業者である岩下家一(いわした・かいち)子爵という人も、なんだかとてもおもしろそうな人だ。そもそもは志賀直哉 ↓ や、
有島武郎、里見弴などと共に「白樺派」運動に参加していたが、「自分はホテルで白樺派の理念を体現したい」と言って、スイスのローザンヌのホテルスクールに留学してホテル経営を学んだというお方。長春ヤマトホテル支配人を務めた後、丸ノ内ホテルや第一ホテル東京の設立にも関わった。帝国ホテルの元社長・犬丸徹三氏は長春のヤマトホテル支配人時代の部下。
で、「なぎさホテル」をつくる際には、建設費用は志賀直哉の父上が出した(というか、たぶん志賀直哉が出させた)んだそう。
由比ヶ浜にかつてあった「鎌倉海浜ホテル」とはまた別のタイプのホテルだが、わたしの興味をいたくそそるホテル。
これからもいろいろ調べてみたいと思う。
会のあとは、こちら「なぎさ橋珈琲店」で「なぎさホテル」を偲びながら、母とディナー。講演会というと「居眠りするかも…」と不安がっていた母も眠らず、それなりにおもしろかったらしい。