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ホテルジャンキー村瀬千文とホテルにまつわるヒト・モノ・コト

ラストリゾートとしてのホテル 〜3.11 東日本大震災時のホテル対応事例(1)

ホテルの方々、そして、ホテル利用者の皆さんに

ぜひ読んで、その時に備えていただきたい

小誌86号で特集した「3.11 東日本大震災時のホテル対応事例」を

全8回に分けてお届けします。

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ホテルのロビーに足を踏み入れると、いつもと変わらない世界があった。
いつもの空気、
いつもの匂い、
いつもの佇まい、
スタッフたちのいつもどおりの
笑顔と挨拶。
何もかもがいつもどおりであることが、
これほどまでにうれしく、
ありがたく、
癒してくれるものだとは
これまで思いもしなかった。
ここに来さえすれば、
あの、いつもの時間に戻れる。
そういう場所を持っていることの
ありがたさをしみじみと感じた…。

ホテルのもうひとつの顔

ホテルは、歴史上のさまざまな局面で「ラストリゾート Last Resort 」と言われてきました。最後に頼れるところ、ここまでたどり着けば何とかしてくれる、最後の頼みの綱、よりどころという意味です。

過去、危機に際し、ホテルはいろいろな役割を果たして来ました。戦時には緊急病院にもなり、避難所にもなり、臨時政府が置かれたり、動乱の中では第三国者の安全が保証される中立地帯にもなりました。

また、先の第二次世界大戦時のラッフルズのように、迫り来る戦火の暗雲をよそに前夜まで平時と変わらぬ華やかで楽しい場として存在し続け、人々が心の平安と安らぎを感じる場であったホテルもあります。

今回の東日本大震災においても、ラストリゾートとして、多くの人たちがホテルへ向かいました。そして、ホテルという装置が持つ有形無形のさまざまな機能がいかんなく発揮され、都市における避難所として、情報センターとして、ホテルは大きな存在感を示しました。

3・11、その日、都内のホテルは…。

3・11の東日本大震災の際、首都圏では帰宅の足を失った帰宅困難者など多くの人々がホテルを目指して歩きました。「ホテルまでたどり着けば、何とかしてくれるのでは…」そう期待してのことでした。

そして、頼られた各ホテルは、即座に臨戦態勢を敷き、避難基地として姿を変えて帰宅困難者たちの物心両面でのよりどころとして機能しました。ロビー、レストラン、宴会場などのパブリックスペースが開放され、寝床や食事、飲み物が提供され、刻一刻と変わる交通状況などの情報提供がなされました。

緊急時において、ホテルは、都市におけるセンター的機能をもった場として、人々のよりどころとなりました。

「不安いっぱいで暗い街を無言で歩きつづけて来て、ホテルの灯りが見えた時はほっとして思わず涙が出ました」

「ホテルにたどり着くと、ホテルのスタッフの方たちが、ごったがえす混乱の中をいつもの笑顔でてきぱきと、それぞれできる限りのことをしてくれようとしているのを見て、それまでただただ被害者として呆然としていたのが目が覚める思いでした。自分も何かできることをしようと思いました」

「いつも知っているホテルとは別の顔を見た気がしました。ホテルって、こんな姿も持っているんだなと認識を新たにしました」

 今回の震災に際して、ホテルでは何が起きていたか、各ホテルを取材してみました。

<続く>